岸和田の歴史を簡単にご紹介。

 大阪のお城と言えばまぁほとんどの人が「大阪城」と言うでしょう・・・。しかし!!岸和田にもお城があるんです!
岸和田城の歴史はまた後に細かくご説明させて頂くとして・・・。岸和田の歴史について今回は少し書いてみようかと思います。
ちょっと歴史の授業になりますね(笑)
「岸和田」という文字が確認されているのは南北朝時代(14世紀)にはすでに確認されています。その後、天正13年(1585年)には 小出秀政が岸和田城主となり、岸和田藩が立藩されました。ここから岸和田城の建設、そして城下町の整備が始まるわけですね。
今の岸和田市のすべてはここから始まったわけであります!

廃藩置県での統合からの統合を経て。

 元和5年(1619年) 松平康重が岸和田城に入封。城下町の整備はどんどん進みそして寛永17年(1640年) 岡部宣勝が入封。これ以降岡部氏の城下町として岸和田は栄えました。これはいろいろと諸説がございますが・・・元禄16年(1703年) 岡部長泰が岸和田城三の丸に伏見稲荷を勧請し、稲荷祭を行い、これが岸和田祭の起源と云う説があります。そして時代が変わり明治4年(1871年) 廃藩置県により岸和田県が設置されました。岸和田も1回は「県」になったんですね!!しかし同年堺県に編入されてしまいました。明治14年(1881年)岸和田は大阪府に編入されることになりました。
写真は岸城町にある三の丸神社です。

明治22年(1889年)4月1日、 町村制施行により、南郡岸和田南町、岸和田本町、岸和田堺町、岸和田魚屋町、岸和田北町、岸和田並松町が合併して、『南郡岸和田町』が発足します。町役場は大字岸和田北に設置され、その後大字岸和田本に移転されます。明治29年(1896年)4月1日 には 郡の統廃合により、泉南郡が成立。泉南郡は現在でも田尻町・熊取町・岬町があります。明治45年(1912年)1月1日 には 泉南郡岸和田浜町、岸和田村、沼野村を編入。大正2年(1913年)には1月1日 には 大字を改編され、発足時の6町(岸和田南町・岸和田本町・岸和田堺町・岸和田魚屋町・岸和田北町・岸和田並松町)は岸和田の冠称を廃し、岸和田浜に7町、岸和田に6町、沼に2町、野に2町、藤井に1町、別所に1町の計25町となりました。そして岸和田に大きな出来事が起こることになります!

岸和田がついに「岸和田市」に!

 大正11年(1922年)11月1日。ついに 大阪府下で3番目に市制を施行!。岸和田市となりました。ちなみに1番目は大阪市、2番目は堺市。そして3番目に岸和田市!と大阪府の中でも大変長い歴史のある市なんですよ!
昭和13年(1938年)には 泉南郡土生郷村を編入。
昭和15年(1940年)には 泉南郡有真香村、東葛城村を編入。と岸和田市は次第に大きくなっていきます。そして昭和16年(1941年)に岸和田市役所が現在の位置(岸城町7-1)になります。かつてそこには泉南郡役所があったそうです。昭和17年(1942年) 泉南郡春木町、山直町、南掃守村とが岸和田市と合併。昭和23年(1948年)には泉北郡山滝村を編入。そして時は過ぎ・・・平成19年(2007年)岸和田市内に飛地として存在していた貝塚市清児新町地区を編入し、現在の市域となりました。ということで2022年に岸和田市は市制100周年を迎えます!ザ~~っと流してきましたが、これだけでも「岸和田」という文字は700年以上も前から存在していたということですので、もちろんたくさんの史跡・名所などがあります。
そんな「岸和田」を少しずつご紹介できればと思っています。m(__)m
連載「岸和田」(笑)をよろしくお願い致しますm(__)m

※ウィキペディア・岸和田市役所ホームページ参照
※あくまで説です。諸説あります。